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例えば以下のやりとり。AとBはバス擁護派、Cは反擁護派です。(実際のやりとりは→こちらの428-500くらい)
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なんか噛み合ってないですね。擁護派A、Bと反擁護派Cがやりあってるんですが、実は以下に書くとおり、AやBが使ってる「共存(=共生)」は2通りの意味がある。で、それをゴチャゴチャに使ってるからわけわかんない。それに、皆さん447や450に違和感を感じませんでしたか?
じゃ、実際どんな意味で使われているのか検証していきましょう。
@辞書的な意味での共存
Aも上で書いてるけど、辞書によれば共存とは「二つ以上のものが一緒に生存したり存在したりすること。」ですね。これを否定するつもりはないし、(もちろん)正しいでしょう。
だから、この意味で「共存」を使う限りにおいては、以下の例文は正しい。
「琵琶湖にはブラックバスと在来種が共存している。(それが良いことか悪いことかの判断は含まない)」(=447)
「この容器の中には気体と液体が共存している。」
「異なる人種が共存する」ところが、以下の例文において@の意味での「共存」を使ったとき、たしかに正しいのかもしれないが、私たちは違和感を覚えるんじゃないでしょうか。
「絶対王政政権下で、王様と農奴は共存している」
「我々は自然との共存をはからなければならない」(→つまり今は共存していない)
これはなぜなのかを以下で検証します。
A善悪の判断を含んだ「共存」
上に挙げた2つの例文(王様、自然)のように、普段私たちが使っている「共存」には、「共存」するにふさわしいかどうかの善悪の判断が暗黙のうちに含まれているのではないでしょうか。
つまり、@の意味で「共存(=一緒に存在)」し、かつ「良い状態を保っている」ことではじめて「共存している」と言っているのです。だから私たちは、実は無意識に「共存している」=善(良)、「共存していない」=悪と判断している。
上の王様の例文では、@の意味で共存しているものの、それが良い状態とは判断されないから、私たちは「共存していない!」と感じるわけです。自然の話も同じ。普段私たちが自然界に対して「共存」という言葉を使うとき、きっとこちらの意味を使っているはずですので、(バス関連の掲示板を見るときには特に)注意してみてください。
では以上のことをふまえて、(たぶん先ほど違和感を覚えたであろう)擁護派の主張である「琵琶湖では既にバスも共存していたな」という文章を解釈してみましょう。
上にも書きましたが、@の意味でこの主張をしているのであれば、この文章には何の問題もなく、正しいことを言っているでしょう。しかし彼はこの意味では使っていない。もしこの意味で使っているのなら、「だからどうした?それが良いことなのか悪いことなのか判断しろ」となる。それに428の意味も通らなくなりますよね。
Bがこの文章で言いたかったのは、きっと「琵琶湖ではバスも共存しているから問題はない」ということだと思います。
つまり彼は、@の意味で「共存している」という事実に対して、Aの意味の「共存」である「共存しているから良いことだ」を適用してしまったんですね。だから、Aの意味を適用するために必要な、善悪の判断を通り越してしまっている。このトリックを解くために、Bは「良い状態を保っている」ことを示さなければならないですね。
この2種類の「共存」の意味を頭に入れてもう一度上の文章を読んでみてください。AとBの言ってることが噛み合わないことが分かると思いますから。
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