[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」
『底抜けブラックバス大騒動』を読む
|トップ画面へ|
『魔魚狩り』に続いて急遽発刊された『底抜けブラックバス大騒動』(池田清彦著/つり人社)。ギター侍よろしく、歯切れのよい言葉で次々と既成のブラックバス駆除論を斬っていくその論調は、一見するとバス業界に現れた救世主であるかのごとくもてはやされています。
しかしその内容はもろ手を挙げて喜べるような、そして批判的検証に耐えうるような、論理的で本質的なものなのでしょうか。
たしかに、池田先生の文章はとても面白く、人を惹きつける力があります。しかしその内容はというと、底が抜けているのは池田清彦氏の論理だという感想しかもてませんでした。ここでは具体的にその内容について検証を加えていこうと思います。
・・・実のところ、この本の検証を正面切って行ってホームページに掲載するのには戸惑いもありました。
でも、いまさら「ブラックバスは悪くないんだ、生物多様性はおかしい」なんて言ってくれる本を手に入れたところで、バス釣り人の未来が明るくなるとはどうしても思えないわけです。せいぜい精神安定剤にしかなりません。
だいたい、「悪い」という言葉を用いるかどうかはともかく「ブラックバスが生態系に影響を与えることは否定できない」ということは環境省の会合で全釣協も日釣振も認めているし、外来生物法ができたこと自体は歓迎すると言っているんです*0。池田清彦氏の本は真っ向からこれらに異を唱える内容となっています。
今バス釣り人に求められているのは、他者批判ではなく、現状を理解し未来像を描き社会に提案していくことです。
『底抜けブラックバス大騒動』は、「原理主義」というわかりやすい敵を作ってそれを批判することにより対立する自分を善としているだけで、多くの批判本と同様、自ら批判的検証に耐えうるような提案をしているわけでもなく、未来像を描く一助として有益に働くとは思えないのですが、皆さんはどう読まれるでしょうか。(って自分が誰の味方なのか良くわからない書き出しになってしまったな)
この解説についてのご意見・反論等を受け付けています。掲示板、ブログ、2chスレッドのいずれかお好きなところまでどうぞ。
この本を読む上でのキーワード
生物多様性原理主義者批判か、生物多様性批判か
≪生物多様性の考え方を批判すること≫と、≪生物多様性原理主義者の考え方を批判すること≫は違います。
「生物多様性は一つの価値観として認められるけれども、それを金科玉条にするのは間違いだ」
これが正しい生物多様性原理主義批判であり、
「生物多様性の考え方はおかしい」
というのは原理主義批判ではなく、生物多様性批判です。
池田清彦氏はこれらを混同し、原理主義者批判と言いながらその実生物多様性批判を行っています。
これが『底抜けブラックバス大騒動』でいちばん底が抜けている部分です。(ページの最後に詳しい説明を付け加えてあります)
生物多様性Aと生物多様性I
上に書いた「生物多様性原理主義」否定と「生物多様性」否定を混同しているがために生じている問題があります。
それは、池田さんが肯定的に「生物多様性」という言葉を使ったときに、それはいったい何を指しているのかということです。
池田さんは既存の生物多様性の概念(生物多様性Aと呼ぶことにしましょう)の一部もしくは全部に対して否定的見解を述べているのですから、自分が否定している概念を全肯定することは矛盾です。
ゆえに、ここで「池田清彦氏の定義する生物多様性の概念」というものを導入する必要があります(これを「生物多様性I」と呼びましょう)。
その上で、池田さんが「生物多様性」という言葉を使ったときにどちらを指すのか明確に区別し、その上で文脈上、論理上、総合的な池田さんの主張上矛盾がないのかについて意識しながら読む必要があります。
また、そもそも「生物多様性I」の考え方が正しいのか(社会に受け入れられるかどうか)の検証も必要です。
これまでかなり批判的検証を受けてきているであろう「現在の生物多様性の概念(これは日本だけではなく、広く世界に共通する考え方です)」の一部(または全部)に異を唱えてパラダイムシフトを起こそうというのだから、それなりの論理と覚悟が必要です。
架空の論敵を攻撃する
相手の言い分を聞かず、勝手に相手の意見なるものを発明し、これを攻撃することで、相手を批判したつもりになることを「架空の論敵に吠える」といい、詭弁の一つに分類されています(「わら人形」ともいいます)。
池田清彦氏が批判する相手は、実は架空の論敵であることがとても多いです。上に書いた「生物多様性原理主義者」にしろ、「まえがき」にある「他人の楽しみを邪魔することが楽しいという人間」にしろ、本当にこういった人たちが存在するのでしょうか?それにあてはまると思われる人の意見を検証してみれば、違うということはすぐにわかるでしょう。
こういった耳ざわりの良いキーワードを散りばめて“本質をわかった気にさせる”功罪は大きいと感じます。
架空の論敵を作り出すことで問題の本質(環境省での会合の内容や、ブラックバスがなぜ問題視されるのかということ)を覆い隠して煽動することは、内輪向けには役に立つかもしれませんが、問題解決のための議論には程遠いと言わざるを得ません。
具体的に読み進めてみよう
キーワードを意識しつつ読み進め、内容を検討してみましょう。
底抜けブラックバス大騒動「まえがき」
「詭弁によって相手を騙すテクニックとしては、全てを嘘で塗り固めるのではなく、事実を書き連ねつつ要所要所で論理の飛躍をしていくことに真髄がある。結論が大法螺であっても、全体の論理展開がなんとなく正しいように思われてしまうわけだ。」(2ちゃんねるの名無しさん)
先日こんなレスを見てなるほどと納得してしまったわけですが、池田清彦氏の論法はまさにこれです。
まずは『底抜けブラックバス大騒動』「まえがき」から検証していきます。
「まえがき」第2段落
ここに、なぜ池田さんが「ほとんどすべてのマスコミがバスバッシングをしている中、得することは何もないのにこんな本を書くのか」ということが3つ書いてあります。
それによれば
1.何であれ正義という錦の御旗をおっ立てて、他人の楽しみを邪魔することが楽しいという人間が気に入らない
2.ブラックバスやタイワンザルは日本の生態系をムチャクチャにする元凶だから、1匹残らず駆除するのだ、という外来種排斥原理主義者の主張は現実的でないばかりか、科学的にもナンセンスであり、論理的にも底が抜けていることを明らかにしたかった
3.ブラックバス排斥運動は、実は生物多様性保全に名を借りた利権漁りではないか、と言いたかった
これを一つずつ検証してみます。まず「2」から。
| 2.ブラックバスやタイワンザルは日本の生態系をムチャクチャにする元凶だから、1匹残らず駆除するのだ、という外来種排斥原理主義者の主張は現実的でないばかりか、科学的にもナンセンスであり、論理的にも底が抜けていることを明らかにしたかった |
これは名無しさんが指摘している詭弁そのものです。
「ブラックバスやタイワンザルは日本の生態系をムチャクチャにする元凶」というのは、既存の生物多様性の価値観を認める立場に立てば、これは事実です。原理主義者でなくても、です。*1
「ムチャクチャ」という表現が適当かどうかはわかりませんが、タイワンザルもブラックバス(オオクチバス、コクチバス)も生態系等への影響が外来種の中でも特に大きいとして外来生物法で定める特定外来生物に選定されています。*2
それで、この事実からいきなり「1匹残らず駆除するのだ」と主張している人がいることに飛躍します。
なぜ飛躍と言えるのか。それは、
1.「生物多様性原理主義者」(=「1匹残らず駆除するのだ」と主張している人)が具体的に誰なのか明らかにしなければならず、また名前を挙げたとしてその人が本当に「原理主義者」なのか検証が必要だが、本文を通して具体名が挙がったのは瀬能宏氏のみで、しかも瀬能氏が原理主義者だと一方的に決め付けるのみで瀬能氏の主張内容の検討は行われていない。*3
2.仮にそういう人がいたとして、論理的に考えれば、そういう人を批判することは「原理主義者の主張がおかしい」ことにはなっても「生物多様性の主張がおかしい」ことにはならない(上に書いたキーワードの1つ目)。したがって「生物多様性の主張」から導き出されている「ブラックバスは問題だ」という主張の批判にはならない。
という論理矛盾を覆い隠しているからです。しかしながら、著者がそのような意図を持っているかどうかは知りませんが、読者、特に本書の主たる読者層であるバス釣り人には、ブラックバスを問題視すること自体がおかしいという読み方をさせるし、してしまうわけです。
また別の視点として、
3.「ブラックバスやタイワンザルは日本の生態系をムチャクチャにする元凶」という根拠は「1匹残らず駆除するのだ」だけにつながるのではなく、例えば「必要な対策をすべきである」、という主張だってありえるのに、「1匹残らず駆除するのだ」という主張だけに無根拠に限定する(相手の言い分を勝手に発明する・限定する)ことにより批判したつもりになっている
という批判もありえるでしょう。
次に「科学的にもナンセンスであり、論理的にも底が抜けている」という主張。
原理主義者かどうかというのは、科学的にナンセンスかどうかとは関係ありません。どちらかというと政治の問題です。科学的には「外来種は問題」だけれども、政治的に「その問題を全面解決するだけのお金がない」から「すべての外来種問題に取り組めない」というのが正しい論理展開ですから、原理主義者に向かって「ナンセンス」と言うのであれば「政治的にナンセンス」と言うべきです。「科学的にナンセンス」と主張するということは、科学の領分である「外来種は問題だ」ということが「ナンセンス」だということなのでしょうか?
であるならば、これは既に書いたように原理主義否定ではなく外来種問題否定なのです。論理の底が抜けているのははたして誰でしょうか?
次に「1」の話。
| 1.何であれ正義という錦の御旗をおっ立てて、他人の楽しみを邪魔することが楽しいという人間が気に入らない |
『架空の論敵』を作り上げてそれを批判することで相手を批判した気になっている典型例です。
「他人の楽しみを邪魔することが楽しい」からバスを問題視している人なんているんでしょうか?
本を全部読んだけれど、そういう人がいることは結局明らかにされませんでした。抽象的な話ばかりで具体的な名前が出てきたのは瀬能宏氏と石井実氏*4と水口憲哉氏だけだったかな?(たしかもうひとりくらいいた気がするけど失念)。秋月岩魚氏なんて本のタイトルすら出てこなかったし。ブラックバスに批判的立場をとる瀬能宏氏、石井実氏、秋月岩魚氏の3氏も、具体的に主張を見れば「他人の楽しみを邪魔することが楽しい」からブラックバス批判をしているのではなく、その問題性ゆえに批判しているのだということは明らかです。
たしかにバス釣り人にとってみれば結果的に楽しみを奪われる*5ことになるのかもしれないけれど、あくまでそれは結果であって目的ではないでしょう。
「結果的にでも他人の楽しみを邪魔するのが許せない」ということなら、タバコを楽しみにしている人だったり、極端なものでは麻薬を楽しんでいる人も規制できない、なんておかしな議論も成り立ってしまいます。規制が必要なものには規制がかかる。当たり前のことです。
さて、3番目。
| 3.ブラックバス排斥運動は、実は生物多様性保全に名を借りた利権漁りではないか、と言いたかった |
ということはブラックバス排斥運動はそれ以外の性格を帯びていないということなんでしょうか?
であるならば、必要なのは利権漁りであることを明らかにするだけではなくて、現在挙げられているそれ以外の問題を否定しないとダメです。
「ブラックバスが問題であるかどうか」ということと「利権漁りがあるかどうか」ということは別の問題なのです。
「ブラックバスに問題がない」かつ「利権漁りがある」ならば、対策の必要はないでしょうし、そこにお金をつぎ込もうとしていることは批判されるべきでしょう。しかし、
「ブラックバスに問題がある」かつ「利権漁りがある」ならば、利権漁りが起きないようにしてブラックバス問題を解決していこうというのが論理的な思考ではないでしょうか。でもそんな話は一つもありませんでした*6。(余談ですが、必要なところには必要なだけのお金をかけるべきです。論理性を曖昧にしてお金が絡むことをすべて「利権漁り」とレッテル貼りすることは簡単ですが、それが許されるならすべてのお金が絡むものを「利権漁り」と呼べることになるでしょう*7)
「まえがき」第3段落
| マスコミ挙げてのブラックバス叩きは異常としか言いようがない。右から左まで歩調を合わせていることなんか不気味ですらある。まるで大政翼賛会だ。とても北朝鮮の悪口は言えないな。 |
って仙川日記のまんまやんか(ツッコミ
これも上に挙げた詭弁の特徴そのままなのです。
「マスコミ挙げてのブラックバス叩き」は事実です。(「叩き」っていう表現には感情論が入っているけど)
しかし、なぜそれが異常なのか、歩調を合わせたらいけないのかといったことがまったく指摘されず飛躍してます。(仙川日記も「社会状況を冷静に見定めるべきマスメディアが一斉に足並みを揃えて特定の政治運動を後援するのは、ジャーナリズムの自殺行為」と書いていますが、各社とも「ブラックバスは問題だ」と判断した結果、結果的に足並みが揃ったのだとしたら、なぜこれが批判対象になるのでしょうか?)
冷静になりましょう。
「○○に異論を唱えるマスコミがいないので、マスコミは異常である」
という批判は正しいでしょうか?
「○○に異論を唱えるマスコミがいない」ことが「マスコミの異常性」の根拠になるのかってことです。
・・・なるわけがありません。
「麻薬は規制すべきだ」という主張について、右から左まで同じ論調だからといって批判されるべきなのでしょうか?
あるいは、「国会で日本人拉致疑惑の早期解決を求める決議が全会一致で可決されたことは右から左まで歩調を合わせているから不気味である」と批判されるべき問題なのでしょうか?
「まえがき」第4段落
| 私は別に生物多様性の保全に反対しているわけではなく、これを金科玉条にして、すべてに優先する価値であるという原理主義者の考えを撃ちたいだけだ。生物多様性はこの世界にあるさまざまな価値の1つにすぎない。 |
「キーワード」に挙げた内容です*8。上でも書きましたが、もう一度簡単にまとめます(補足説明を読んでからだとさらにわかりやすいと思われます)。
「生物多様性の保全に反対するのではなく、すべてに優先する価値であるという原理主義者の考えに反対する」ということは、「既存の生物多様性の考え方および保全に反対しない」かつ「それを原理主義的に扱うことに反対する」ということです。
つまり、池田さんはここでは既存の生物多様性の概念は理解されておられると読めます。
その上で、原理主義者がいるというのですから、金科玉条にしているということに対して今後批判が展開されていくのではないかと読み手は考えるでしょうし、それが論理的な考え方でしょう。
でも1章以降(いえ、次の第5段落からいきなり)を読み始めると、繰り返されるのは生物多様性の概念自体の否定なのです。
「まえがき」第5段落
それに外来種が入ってきたら生物多様性が減るという言説にも根拠はないのだ。減る場合もあれば増える場合もあり、是々非々に判断するほかはないのだ。実は生物多様性という概念自体も、厳密に一義的に数値化できるようなものではなく、ほとんど情緒的な概念なのである。
|
第4段落まで、池田さんは「生物多様性原理主義者の考えを撃ちたい」と繰り返し言ってきました。
しかしこの第5段落の内容は明らかに「原理主義否定」ではなく「生物多様性概念の否定」です。前の段落で「生物多様性はこの世界にあるさまざまな価値の1つにすぎない」と生物多様性の価値観自体は認める記述をされているにもかかわらず、たった5行読み進めるだけで論理矛盾が生じているのです。
「まえがき」第6段落
確かに問題のある外来種もあるかもしれないが、ブラックバスに限っていえば、人に健康被害を与えているわけでもなく生態系に大きな影響を与えていることが証明されているわけでもなく移入してから80年も経つのにブラックバスにより滅ぼされた在来種は1種もいないから大騒ぎするような問題ではまったくない
|
前の第5段落で既存の生物多様性の概念を否定しておきながら、どのような根拠で「問題のある外来種もあるかもしれない」と言うのか、池田さんの基準(生物多様性I)を明確にしたほうが良いということをまず指摘しておいて、池田さんが「ブラックバス」が「大騒ぎするような問題ではまったくない」*9とする根拠を3つ挙げています。
1.人に健康被害を与えているわけでもない
2.生態系に大きな影響を与えていることが証明されているわけでもない
3.移入してから80年も経つのにブラックバスにより滅ぼされた在来種は1種もいない
環境省の外来生物法でも指定の根拠がいくつか挙げられており、バスの場合は「生態系と農林水産業に対する被害」が根拠になっているので「1」はいいとして、問題は「2」「3」です。
2.「生態系に大きな影響を与えていることが証明されているわけでもない」ことは「大騒ぎするような問題ではまったくない」ことの根拠になるか?
予防原則を本の中で肯定している池田さんがここでは予防原則を否定するというダブルスタンダードが如実に現れています。
予防原則とは『取り返しのつかない結果を招く行為や重大な危害を引き起こす行為に対して、その科学的根拠が完全なものでなくても、やめるなり緩和策を講じるなりの対策を行うべきとする考え方』*10であり、この考え方に従えば「影響を与えていることが証明されていない」ことを根拠にすべきではないことは明白です。同内容の文が生物多様性条約条文にもあります。
それにそもそも前提がおかしいです。本の中で特定外来生物法の解説までしているのだから、小グループ会合の内容(=「指定すべきである」とする根拠の資料)、結論(=生態系へ被害を及ぼすものであることを否定することはできない)をなぜ踏まえないのでしょうか?池田さんの本の中にはこれらへの反論も、根拠となるデータもありません。「証明されているわけでもない」とされるなら、また外来生物法を狙って本を出されているのだから、これらへの反論なしに「生態系に大きな影響を与えていることが証明されているわけでもない」と言うのは科学者としておかしいのではないでしょうか?都合の良い情報を取捨選択して読者に伝えている「偏向本」という批判を受けても仕方がありません。
3.「移入してから80年も経つのにブラックバスにより滅ぼされた在来種は1種もいない」ことは「大騒ぎするような問題ではまったくない」ことの根拠になるか?
極論による詭弁にすぎません。「ブルーギル(マングースでもアライグマでも良い)により滅ぼされた在来種は1種もいない」から「大騒ぎするような問題ではない」と言えるのでしょうか?
あるいは、乱獲、開発等により個体群が減少したとしても、絶滅していないのだから「大騒ぎするような問題ではまったくない」と言えるのでしょうか?*11
「生態系への影響」とは「絶滅種がいるかどうか」というだけではありません。それをあえて「絶滅種の存在」だけが基準であるかのように勝手にパラダイムを設定し、否定してみせることであたかもすべての問題が解決したかのように錯覚させていることがこのレトリックの正体なのです。
もう一点。
池田さんは「生物に国境という概念はないのだから外国から入ってきたものだけを外来種として扱うのはおかしい」とおっしゃっている、つまり「それぞれの場所ごとに外来種がいるのだから、国境という線引きではなく個々に扱うべきだ」と主張しています。ですからオオクチバスに関しても、日本という国のしかも芦ノ湖というごく限定された場所に入ってきた「80年前」という時間軸を日本の国土全部に当てはめる(実際、芦ノ湖、相模湖、津久井湖以外に拡散したのは1970年以降と言われている)のは論理矛盾ではないでしょうか。
*0.パブコメ無視したってバス釣り人は言うけれど、建前上利用者代表として参加した彼らのことをバス釣り人は無視するんでしょうか?というか、この事実をどれくらいのバス釣り人が知っていたのでしょうか?環境省の会合の内容を正確に伝えないバス業界こそ「偏向」しているとは思いませんか?
*1.池田さんは本文の中でブラックバスやタイワンザルを問題視することを否定し始めています。これは明らかに「既存の生物多様性の考え方を批判している」ってわかりますよね?このように、原理主義者批判と生物多様性批判をたびたび混同されているのですが、ここで「ブラックバスなどは生態系をムチャクチャにしない」という話を始めるとまたややこしくなるのでこれは別記予定。
*2.オオクチバス小グループ会合の結論として「生態系へ被害を及ぼすものであることを否定することはできない」ことが利用者代表も含めて合意されています。
*3.まぁそもそもそういう原理主義者を作り出すこと自体が「架空の論敵」を作って批判するという詭弁でしかないわけです。
*4.瀬能宏氏は環境省オオクチバス小グループ委員の一人なのでバス釣り人の中でも比較的名の知れた人物だと思います。石井実氏は特定外来生物専門家会合委員の一人。なぜ池田本で名指しされているのかというと、FRONTという雑誌の2003年5月〜2004年4月号にかけて誌上で外来種問題を巡って議論が交わされたからと思われます。FRONTの恨みはらさでおくべきか、といったところでしょうか?
参考:
FRONT2003年5月号 生物相の進化からみた外来種問題/池田清彦
FRONT2003年8月号 [特別寄稿] 真摯に取り組みたい外来種問題 /石井実
FRONT2003年11月号 [特別寄稿]現実的に取り組みたい外来種問題 /池田清彦
FRONT2004年4月号 特別寄稿●外来種を考える 何が目的なのかがわからない・・・・・・池田清彦氏の主張/瀬能宏
*5.正確には、2005年4月24日に芝浦工大で行われたシンポジウムで確認されたように「特定外来生物法ではバス釣りもリリースも禁止されない」のだから「楽しみを奪っている」とも言い難いと思ったりするわけですが
*6.そもそも「利権漁り」と呼ばれるほどのお金が動くのだろうか、という疑問も指摘されていたり。
>私としてはその3の利権ってところが、いつも理解できんのですよ。
>そういわれるだけの金額が、駆除事業で動いてるとはとてもいえない。
>今後発生すると主張する人もいますが、予算の確保も困難な現在の状況では、
>問題視されるような利権が発生する事も考えにくいんですがね。
*7.お金の話をするなら、それこそバス業界が何のために動いているのかというのも考えないと片手落ちなんじゃないのかな?
*8.これ、最初に池田さんが登場されたときに当掲示板でゼゼラ氏批判とともに書き込みしています。過去ログ1のNo.459、475、515-516、過去ログ2の545およびそれ周辺。2003年12月のことなのでもう1年半も前から同じこと言ってるんですね。つり人社を通じてこれくらい伝えてからじゃないと結局同じ批判の繰り返しになっちゃいます。「生物多様性はこの世界にあるさまざまな価値の1つにすぎない。」って誰かさんのホームページに書いてあるんでおそらくこのサイト自体は知られているようですから(笑
*9.今ではこんなことを書いている池田さんですが、『ちくま』368号24-27ページ(2003年1月)の「やぶにらみ科学論[16] 外来種撲滅キャンペーンに異議あり」では
ブラックバス(オオクチバスやコクチバスの総称。前者は1925年に芦ノ湖に放流され、後者は1991年に野尻湖で発見されて以来、全国の湖沼、河川に拡がった)は人気のある釣り魚で、全国各地に相当数の愛好者がおり、従ってその経済効果もなかなかのもののようである。一方、この魚は捕食者で、放された湖沼の小魚や昆虫類を食い荒らし、在来の生態系にかなり強烈な影響を与えることがわかっている。琵琶湖では何種かの固有種の絶滅が心配されている。
ブラックバスの存在は現時点では、生物多様性を減少させる可能性が強いことはたしかなようである。 |
と書いていたりします。この辺の食い違いについてどういう説明をされるのか聞いてみたいですね。
*10.水産庁釣り専門官の話。わかりやすかったのでFBsのHPより転載
*11.2005年2月から3月にかけて行われた特定外来生物のパブリックコメントでは、「水辺を護岸工事によりコンクリートで固めたことや、水質汚濁、農薬の流入、周辺の森林伐採など湖沼の環境悪化が在来魚が減少した主たる原因。」との意見がオオクチバス指定反対派からあったとされていますが、池田さんの主張によれば「絶滅していないから問題ない」となります。こんな意見を支持してていいんですか?
第1章 外来種駆除と生物多様性保全は何のため?
未完
補足説明
生物多様性原理主義者批判か、生物多様性批判か〜詳しい解説〜
わかりやすいように包含関係の図を用いて説明してみます。
まず生物多様性という価値観を認める人たちの集団があります。
┌@生物多様性の価値観を認める人たち─────┐
│ │
│ │
└──────────────────────┘
この枠組みの外側は「認めない人たち」です。
それで、原理主義者はどこに入るのかというと
「生物多様性の価値観を認める人たち」かつ「それを金科玉条にする人たち」
なのですから上の四角の中に包含されるわけです。
┌@生物多様性の価値観を認める人たち─────┐
│ │
│ │
│ ┌A生物多様性原理主義者┐│
│ │ ││
│ └───────────┘│
└──────────────────────┘
ここで、次のような主張がどこに入るのか(どの人たちが主張しているのか)
を考えてみます。
@生物多様性は保全すべきだ
A外来種(ここでは特に侵略的外来種を指す)は生物多様性を減少させる
B生物多様性はすべてに優先する価値(金科玉条だ)
すると以下の図のようになります。
┌@生物多様性の価値観を認める人たち─────┐
│@A │
│ │
│ ┌A生物多様性原理主義者┐│
│ │@AB ││
│ └───────────┘│
└──────────────────────┘
よく見て考えてください。
生物多様性の価値観を認める人たちだって@やAを主張しています。
生物多様性原理主義者と何が違うのかと言えば、Bを主張しているかいないかということ。
そして池田さんは「まえがき」第4段落で、これを撃ちたい、つまり
「生物多様性の保全に反対しない」かつ「金科玉条にすることに反対する」立場だと言っているのだから、@Aを否定しちゃダメなんです。
でも「まえがき」第5段落を読むと、Bへの批判ではなく@Aの否定や疑問視する内容が書き連ねてあります。
こういった論理矛盾が「まえがき」にあって、第1章を読み始めると、具体論はことごとく@の否定とか疑問視の意見が書いてあって、Aの批判はないんです。
蛇足
逆に第5段落(=@Aの否定)が池田さんの主張だとするなら、既存の「生物多様性」という概念(の一部)をおかしいと言っているのだから第4段落で「(既存の)生物多様性の保全に反対しない」とは言えません。
5/8作成 「まえがき」まで
|トップ画面へ|