|トップ画面へ|
「21世紀は環境の世紀である」などというキャッチフレーズを持ち出すまでもなく、今世界的に環境を保護/保全するための取り組みが様々な形で行われています(京都議定書、地球サミットなど社会科の教科書にも出てきますね)。また、それに伴って私たち個人レベルですら環境保全への参画が求められています(ゴミの分別回収、リサイクル、節電など)。
しかし、なぜ環境保全が必要なのかという認識が置き去りにされているようにも思いますし、このことが、バス問題においてさまざまな間違った認識/議論をもたらしているようにも思います。ここでは、面倒ですが、あえて環境保全の目的というきわめて原理的な地点から始めることにより、移入種としてのバスの存在に迫っていきたいと思います。ゼゼラノートと違って読みづらい点はご容赦!(書き上げたら、相変わらず文字ばっかりだな(鬱)。定年を迎えるまでには対話形式の読みやすい形にしたい・・・な
目次
No.1 introduction〜なぜ環境保全するの?〜03.10.28
No.2 生態系保全が必要なのは?生態系保全ってどういうこと?03.10.28
No.3 生物多様性の価値ってなに?03.10.28
No.4 保全する自然って具体的には?保全の根拠は?その1〜introduction&原生自然〜03.10.28
No.5 保全する自然って具体的には?保全の根拠は?その2〜二次的自然&まとめ〜03.10.28
No.6 移入種に関する簡単なまとめ)03.11.24
No.7
No.8 今後の移入種の扱いは?03.11.24
No.9 ここまでのまとめ03.10.28
→子孫の権利擁護のため
私たちが環境保全を行うのは、自然や環境の為ではありません。その目的は人類が自身の生息環境を次世代に受け継ぐ為のものです。人類の永続的繁栄には、豊かな自然が基盤となると考えられているからです。これは、環境省の発行する『環境白書 平成14年度版』の副題が「動き始めた持続可能な社会づくり」であることにも表れています。
私たちが地球の自然資源を損なったり他の生物を絶滅させたりすることは、私たちの子孫が現在の私たちの生活水準や生活の質の悪化に甘んじて生きていかなければならないことを指しています。したがって現在を生きる人々は、資源を持続可能な方法で用い、他の種や生物群集を損なうべきではないと考えられます。これは、未来世代から「借りた」地球をよい状態で未来世代に返却すべきであると考えることもできます(世代間倫理)。
つまり、前述したように、環境保全という概念は人類が人類の為に自らの生息環境を次世代に保証する目的のものであり、文明維持のためのものなのです。そして、その下位分類として、地球温暖化問題、オゾンホールの問題などと並んで、生物の多様性保全が位置付けられていると考えることができます。自らの生息環境とは、進化の結果もたらされた地球環境を享受できている環境であり、これをできるだけ人為的に妨げないことが次世代への責任であるともいえるでしょう。
このような固い言い方をすると抵抗があるかもしれません。そんな人は、自分の家族のことを想像してみてください。バサーが子どもたちにバス釣りを残してあげたいと思うように(是非はともかく)、自分たちが享受できた豊かな自然を、子どもや孫やひ孫に残してあげたいと思いませんか?逆に孫あたりに、「じいちゃんの世代が地球を壊した」なんて言われたくないと思いませんか?
必要なのは→人類の生存や文化的生活がさまざまな生態系サービスに依存しているから
保全って→自然の流れをできるだけ激変させないようにしようということ私たち人類は、原料・食料・医薬品・水・その他の商品もしくはサービスなどを地球の自然環境に依存して生活しており、これらに依存しなくては生存することはできません※1。この点で人類も自然の一部であると考えることができます。
また、生存に関わるような基礎的な部分だけでなく、文化も自然に立脚している部分が多くあります。(祭り、信仰から家の建築様式まで、各地の自然に依存してきたからこそ多様なものになっているといえます)
詳しくは「3.生物多様性の価値ってなに?」に譲りますが、このように私たちは自然からさまざまな利益を享受することで生存/生活しています。他方で人類は、自らの意思に基づいて自然を改変することのできる唯一の種でもあります。
自然を改変することには良い面も悪い面もあります。河川改修で川の流れを直線的にし、洪水を起こさせにくくすることは、生命や財産を守るという観点からみれば必要でしょう。一方でそれは生態系を変えてしまうというマイナス面も含んでいます。
このように私たちは自然を改変することで生活を豊かにしてきた一方、今やその影響力は地球環境自体に影響を及ぼし、人類自らの生存環境さえ脅かすような問題も生じてきました。生態系に依存しなければ生存できないけれど、その生態系を好ましくない形へと変える力も持っているし、ある程度変えなければ“豊かな”生活はできない。この相反する二面性を持っているのが現在の人類の姿といえます。
ならば、改変するにしても、あえて激変させるようなことはやめよう。これが環境保全の考え方です。
人間生存の基盤として(環境の形成・調節)進化論的にも、人間は自然の中から出てきており、生物としての人間の母体である生物多様性を守るべき、という考え方。有用性の源泉として
生物の活動は、土、河川、地下水、大気中の酸素をつくり、気候を調節するなど、人類を含む生物自信にとって良好な環境を形成し、調節しています。人間の生活と経済活動にとって必要な資源の多くは、自然の中から得られてます。また、絶滅していく生物の中に、ガンの特攻薬など未知の有用成分になるなど役立つものがあるかもしれないから保全すべき、というような功利主義的価値。世代を超えた安全性・効率性(広い意味での)として短期的な有用性ではなく、未来世代のことも考え、ロングレンジな視点から、安全性、効率性の観点から生物多様性の価値を考えるということ(世代間倫理)文化の根源として文化を支えるものとしての自然、という価値。生物多様性を守ることは文化の多様性、歴史的資産、地域の固有性を守ることになります。また、人間は自然との交流を通して自然の摂理・美意識・情操を養ったり、自然を芸術や信仰の対象としたり、多様な景観やレクリエーションを楽しんだり、やすらぎを得る場としてきました。これらは一概に経済的価値観のみで計れるものではないでしょう。存在そのものに価値がある(倫理的側面から)地球の歴史とともに長い年月をかけた生物進化という特別な過程によって形成され、それぞれ固有な生態的な条件の元に維持されている生物の多様性は、それ自体が尊く、慈しむべき存在であるとみなすことができます。経済的価値観からでは、人のために何の役にもたたない生物は絶滅させても良いことになってしまいますが、そういった種も進化の一つの産物であり、倫理的に存在を認められるべきだというものです。
この倫理的価値観からも、地球と生物の長い歴史の所産である「種」を人為的に絶滅させたり、生物多様性を損なうことは問題であるといえます。※生物多様性における≪価値≫(生物多様性国家戦略(pdfファイル)を鬼頭先生がまとめたものと環境白書をベースにしました。倫理的側面からの考察は、鷲谷いづみ『保全生態学入門』p14より)
原生自然の価値とは→二次的自然に比べると物質的な価値は小さいけれども、倫理的な価値や文化的な価値がある
人間と自然との関わりをみたとき、様々なレベルでの関わりがあります。
人間が全く(ほとんど)関わっていないような原生自然もあれば、人間が積極的に関わることで維持されてきた自然もあるだろうし、積極的に関わったわけではないけれども、人間生活の影響を受けて変化してきたものもあると思います。具体的に例を挙げてみます。人間が全く(ほとんど)関わっていないような原生自然
屋久島の屋久杉や、白神山系のブナ原生林など。また日本アルプスの高山地帯も、観光地として人間の関わりはあるけれども、人間の生活という点での関わりはほとんどないことから原生的性格を多分に残していると考えられ、原生自然といってよいと思います。これらを保護する理由は、経済的側面からだけでは到底語れません。
日本では人間の手が入っている場所が多い中において、人間の手が関与していないということはそれ自体価値のあること(倫理的性格の強いもの)です。また、原生自然という独特の環境は、私たちにやすらぎを与えてくれたり、美意識や情操など文化的な心の豊かさをもたらしてくれます。こういったものを子孫に伝えたいという気持ちは多くの人が持っているのではないでしょうか。そしてそれが、原生自然を保護しようという結果につながっているのだと思います。
二次的自然の保全とは→二次的自然の果たしている機能を失わせないということ
1.人間が積極的に関わることで維持されてきた自然
2.積極的に関わったわけではないけれども、人間生活の影響を受けて変化してきた自然
いわゆる二次的自然とよばれるもの。里山の自然に代表される、とよく言われるけれど、人間との関わりあいがあるものだから、日本の場合大部分はこちらに入るでしょう。
この二次的自然ですが、上に書いたようにさらに2つに分類することができます。田んぼの生態系を例に考えてみます。「田んぼ」というのは、人間が積極的に関わることで“本来の”自然から変化させて人間が利用してきたものです。これに対して、田んぼに生息する(関連する)さまざまな生物は、特に人間が積極的に変えようと思って変えてきたわけではありません。人間が「田んぼ」という空間を作り出したことにより、結果としてそこに生息しやすい生物が繁栄し、逆にそうでない種は衰退しただけで、人間が特に望んだというわけではありません。
このような人間活動に付随して変化してきた二次的自然は、たしかに“本来の”自然から見れば異なるものになっています。しかし、変わったとはいっても、生態系の一部としての機能を有しています。例えば、人間には嫌われがちなクモも、二次的自然の中で相当量の虫を捕食し、ひとつのパーツとして機能しています。
二次的自然の保全で重要なことは、こういった「二次的自然が果たしている機能」を失わせないことです。琵琶湖の護岸を葦原に戻すことも、原生自然を取り戻すことを目的にしているわけではなく、生態系の一部としての役割(魚の産卵場所や隠れ場所、水質の浄化など)を回復させることに目的があるからやるのではないでしょうか。
一時期、滋賀県主催の講演にニコル氏がよばれたこともあってニコル氏関連の話題が掲示板を賑わせたこともありましたが、そのニコル氏が次のような発言をされています。
「原生林には人間は手を加えてはならない。しかし、ひとたび人間が手を加えた森には、人間が手を入れ続けなけば、その森は死んでしまう」
これこそ、原生自然と二次的自然に対する私たちの示すべき態度を端的に表した言葉ではないかと思うのです。
当サイトの掲示板にて、zenkoGさんよりご意見(311番目)をいただきました。2003.10.30追加
Yahoo掲示板にて、Chironomid_rev2さんよりご意見をいただきました。2003.10.30追加
未完
未完
これまで人類は移入種を利用することで様々な利益を得てきたことも事実です。ただ、新しい視点として、移入種の中には生態系を著しく変化させ人類に不利益をもたらす可能性があるものがいることも分かってきました。これらから学ばなければならないのは、様々な移入種を利用し、また移入種が帰化移入種として定着し二次的自然として認識されるようなものもあるのだから今後も無秩序に利用しつづければよいという態度ではなく、拡散に伴って生態系に変化を及ぼすリスクも踏まえ、きちんとした管理の下で利用できる手段を考えていくべきであるということです。
他の環境問題を例に考えてみます。
人間は産業革命以来、化石燃料を使い続けてきました。はじめは、人間活動が地球に影響を及ぼすなどとは考えもしなかったでしょう。人類の発展は無限の地球を前提にできていたのです。しかし近年、排出された二酸化炭素、窒素酸化物、硫黄酸化物などが自然の処理能力を大きく超え、自然を改変していることが、さまざまな現象や研究によってわかってきました。それゆえに、排出ガスに対する対策が講じられてきているのではないでしょうか。移入種問題も、これと同じなのです。化石燃料の使用が地球環境を改変しているからといって全面禁止にならないように、移入種もすべて排除してしまえ、などとは言いません。しかし、逆に排出ガスを無制限に撒き散らすことが許されないように、移入種に関しても適切な管理の下での利用が必要だと思うのです。
ここまで環境保全の観点からみた移入種問題について書いてきましたが(書いてませんが、書いてあるということにしてください)、これは移入種問題が「重要である」ことを言いたいのではありません。移入種問題が一つの価値観として「正当性がある」ことを主張したいのです。私がこれまで行ってきた議論は「論点の整理」の「1.環境保全の正当性に関する議論」にあたる部分であり、重要かどうかが判断できるのは「2.他の価値観も考慮に入れた上で、問題の大きさがどの程度であるかの議論」です。そして、私はまだこの議論を行っていません(「まだ」と書きましたが、今後も行わない、いや、行えるような立場にはありません。私ができるのは、考え方と判断材料を示すことです)。「No.2 生態系保全が必要なのは?生態系保全ってどういうこと?」にも少し書きましたが、人間の生命や財産を守ることと生態系保全を比べたら、まず確実に前者の方が重要であると判断されるでしょう。では、諫早湾干拓はどうなの?長良川河口堰は?白神山地に自動車道を通すことは?スキー場は?ゴルフ場は?
以上に挙げたような例は、環境保全の観点から考えれば、全部問題があることだと思います。しかしながら、その一方で人間に利益を与えてくれる面もあります。どちらが大きいかは一概には言えませんが。
これと同じように、環境保全の観点からはブラックバスの存在もやはり問題なのです。その上で、「問題ではあるが、その程度は小さい」「環境負荷よりももっと大きなプラスの面がある」といった議論を進めていくこと。バスの存在を正当化させるには、こういった議論が正しい方向なのではないかと思うのです。
さて、以上が一般論。やっとこれからブラックバスの話ですが、今回はとりあえずここまで。のんびりと待っていてください。
参考サイト
【日弁連】自然保護のための権利の確立に関する宣言 さすが弁護士集団だけあって要点を端的にまとめてあり、わかりやすい
環境の世紀IX-環境に関わる意思決定はいかにあるべきか 東京大学教養学部テーマ講義「環境の世紀」より。簡潔に分かりやすくまとめてあります。
世代間倫理「現世代は未来世代の生存の可能性に対して責任を負う」について
環境倫理(2)世代間倫理 環境問題のアプローチ 環境倫理学とは(加藤尚武「環境倫理学のすすめ」の紹介など)
脚注
※1
地球温暖化の原因となる二酸化炭素の吸収と酸素の供給、気温・湿度等の調節を通じた気候の安定化、土壌の形成、土砂流出の軽減、水源の涵養、水質の浄化、食物連鎖による炭素の循環、もしくは、森林浴をしたり、里山の自然を見て心が落ち着くなどの精神的な満足など。本文へ戻る
|トップ画面へ|