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バス問題の論点の整理〜バス問題の構造〜

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■はじめに

 バス問題が混乱する一因として、問題の論理構造認識が曖昧で論点をごちゃ混ぜにしていることが挙げられるように思います。例えば「移入種問題はそんなに重要な問題ではない」というバス擁護論があります。例えば「現在のバスがいる美しい日本の生態系を守るべきです。多様な生物が共存している生態系こそ豊かな生態系なのです。」というバス擁護論もあります。
 この二つは「バス擁護」という結論は同じですがその根拠が異なります。前者と後者は根拠が違うのですから相容れないはずなのですが、“バス擁護”という結論を結集軸にしているためか、擁護論同士の議論というものを見たことがありません(うがった見方をすれば、バス擁護の結論のために個々人の言葉で論理を後付けした結果、複数のバス擁護論が生まれてきたとさえ思えます)。リリ禁ネットが個人の意見の発露の場に成り下がってしまい、議論の収束点を見出せないのもこのためでしょう。擁護論同士ですら根拠が異なるのですから、まして彼らに異見する人たちと意見の合意点を見つける(つまり、相手の主張の“根拠”の正当性をどこまで認められるかということ)ことなんてできるはずはないのではないですか?

 しかしながらそんなことを言っていては埒があきません。バス問題に必要なのは、個人の価値観ではなく、社会合意です。個人的に環境保全は必要ないと思う人がいたとしても不思議ではありませんが、しかしそれが社会合意となるかは別問題です。議論すべきなのは、社会合意として何が一番良い回答となるかを提案しあうことです。

 ここでは、問題の構造を明らかにすることで論点を明らかにし、ループの原因を断ち切ることを目指します。

■バス問題の構造

議論が錯綜する根本原因は?

 物事を論理的に説明するためには、一般論から具体例へと対象を絞っていくことが大切です(図1図2を使って具体的に説明します)。バス擁護論には、この逆の論理展開(ブラックバス擁護論という具体例を説明するため“だけ”に、もっと一般的な内容である移入種問題を否定する、など)をしているものが多く見られます。包含関係を逆に捉えているのです。こうなると、移入種問題にはブラックバスに限らず他の種も含まれているという派生に気付かないし、同じ議論を他の移入種に当てはめて正当性があるかどうかを確認するという一般化もできません(移入種問題を否定すればたしかにブラックバスが問題であるという根拠は失われます。しかしながらそれは同時に他の移入種問題である、マングースや、ナイルパーチや、オーストラリアのウサギが問題であるという根拠すら否定しているのです)。最初にやるべきことは、この「議論のベクトル」をはっきりさせることです。

バス問題の構造

 バス問題を巡る議論は3つの段階+αに分けることができると考えられます。
 (ここでは論理構造を示したいのであり、各段階の議論が正しいかどうかについて言及するものではありません)

1.環境保全の正当性に関する議論

1-1.バスの影響力についての議論

2.他の価値観も考慮に入れた上で、問題の大きさがどの程度であるかの議論

3.他の問題と比べてどの程度のリソースを分配すべきかの議論

+α.リリースは釣り人の自由だという議論

1.環境保全の正当性に関する議論

 環境保全の観点からブラックバスの存在を懸念する主張をフローチャートで表すと、大まかに分類すれば図1のように3段階の議論に分けることができると考えられます。矢印は、上位問題の下位分類として下位問題が位置付けられる(下位問題の「問題」とされる「根拠」が上位分類であるということ)、と読んでください。例えば「ブラックバスが問題とされる根拠は、移入種問題にある」など。


図1 環境保全の観点からみたブラックバスの位置付け

 このうち一つでも論理的に否定できれば、それよりも下位レベルの根拠は失われることになり、「ブラックバスが問題である」とする根拠が失われることになります。
 例えば、極端な話「環境保全をする必要がある」というのは間違い、つまり環境保全をする必要がなかったとします。であるならば、環境保全を根拠としているブラックバス問題は、「環境保全」という根拠が崩れ去ったのですからもはや無根拠となり、ブラックバスの存在も問題がないと言えることになるでしょう。「環境保全」という根拠を崩せるかどうかは別として、これは正しい論理展開であると言えます(各段階での議論の正当性はまた別ページでまとめる予定です。いつになるかはわかりませんが・・・)。

この議論の注意点

1点目 議論のベクトル

 図1でフローチャートが思わせぶりに斜めになっているのには意味があります。言うまでもなく、生態系保全は環境保全の一つにすぎません。他にも、地球温暖化問題、化学物質汚染問題など、さまざまな問題が環境保全の下位分類として考えられます(図2)。もしも環境保全する必要がないということになるならば、それは同時に、地球温暖化問題や化学物質汚染問題などについてもその「問題」とする根拠が失われることになります。上位分類を否定するということは、単に「生態系保全の必要がない」ということを言うだけではなくて、他の問題の根拠も否定しているということになるのです。


図2 議論のベクトル

 これまでは「環境保全」を否定するという極端な例を挙げて説明してきましたが、さすがに「環境保全」の必要性を否定する人はあまりいないようです。しかしながら、ブラックバスを特別視するあまり「移入種問題」を否定する議論はかなり多く見られます(リリ禁ネット訴状など)。移入種問題を否定することは、一部バサーが問題だと主張しているブルーギルの存在をも正当化し、全世界的な“移入種問題”が無根拠であるとする議論であると覚悟すべきでしょう(例えば、「これまで人間は移入種を利用してきたし、その中には日本の生態系の一部として認識されるまでになった種もいるし、ブラックバスもいずれ生態系に取り込まれて安定するのだから問題ないじゃないか」と主張するのならば、ブルーギルも同様に主張すべきでしょう?しかしバス擁護論には「琵琶湖で問題なのはブルーギルだ」と主張する人がけっこういますね。さらに言うならば、こういった擁護論内での矛盾点を内包しておきながら、意見の相違の原因を駆除論に求めるのはいかがなものかと思うのです)。

2点目 何が示されるか?

 この議論で示されるのは、「リリース禁止に反対」ではなく「バス駆除に反対」です。なぜならば、バスの存在そのものの正当性に言及するものだからです。このあたりの議論も、混同している人がちらほらといるので注意しましょう。

1-1.バスの影響力についての議論

 移入種問題の観点から「重大な」問題があると判断されるためには、ブラックバスが生態系に与える影響がどの程度であるかを考える必要があります。影響が小さければ、対策する上での優先順位も低くなり、したがって他人の権利縮小であるリリース禁止も不当であるという結論が導かれてもおかしくはないといえます。

2.他の価値観も考慮に入れた上で、問題の大きさがどの程度であるかの議論

 環境保全の観点からブラックバスの存在が問題であったとしても、それが即「駆除する」という結論につながるものではありません。環境保全の観点から言えば移入種問題の一つとして問題(の議論が正しかったとして)ですが、どのような対応が最善であるか、また、対策が必要であった場合の優先順位は、他の価値観や他の移入種と影響の程度の比較も含めて考えるべきです。バス問題を巡る価値観・論点の例を図3に挙げます。


図3 バス問題を巡る価値観・論点の例

 ブラックバスをどうするか。それは、これらの価値観(注:上のは例であって全てではない)を総合して考えるべきです。ブラックバスには経済的な価値があるから利用すべきだという考えがあってもいいでしょう。地域住民の要望として、都会からバス釣りに来る人のために静かな生活が壊されるからブラックバスは要らないという意見があってもいいでしょう。逆に、その経済効果を望む声があってもいいでしょう。釣り人のゴミ問題もあります。ゴミ問題はしかし各自の努力によって解決できる問題でもあります。
 こういった価値観を包括的に捉えた結果、利用するというのもアリだし、駆除するという結論もアリだし、駆除するにしてもリリース禁止にすべきではないという結論もアリだと思うのです。ただ、これは包括的に考えた結果であり、「環境保全の観点から問題である」ことを否定するものでないことは、これまでのいろいろな掲示板での議論を見る限り、言い添えておく必要がありそうです。

 このような相反する利益の調整というのはどの分野でも行われていることですし、そうあるべきだと思います。特に、環境問題というのは経済的価値観や利便性などとは基本的に対立する問題です。これまで人類は後者である功利主義的な考え方を優先させて発展してきたし、今後も電力や治水等の生存に関わる不可抗力的な問題においては、環境を破壊しなければ現在の文明は維持できないでしょう。翻って、バスフィッシングという趣味(もちろん趣味も人間の文化的な生活のために必要であるとは思いますが)において、どこまでその大義が通用するかということです。不可抗力と趣味ではやはりその重要性は違ってくると思います。「人類が環境破壊の根本原因なのだから、バスフィッシングもいいじゃないか」的な議論は、相殺法にあたる詭弁になり得るのでやめたほうがよさそうです。

3.他の問題と比べてどの程度のリソースを分配すべきかの議論

 (この議論では、「ブラックバスの存在も、程度は不明だが問題がある」という前提(仮定)をおく必要があります)

 移入種問題も数ある環境問題の中の一つにすぎません(図2参照)。更に、世の中に存在する問題は環境問題のみではありません。これら多くの問題の解決に対して私たちが払うことのできる労力・資源・金銭は限られています。とも関連しますが、これらの問題に対してリソースを適切に配分することはひじょうに重要ですし、その結果ブラックバス問題は取るに足らない問題であるから優先順位は低くなるというのであればそれは致し方ないことです。

 しかし、これは「ブラックバスの存在は問題がない」ということの証明にはまったくなりません。優先順位が低いだけのことであって、対策が費用対効果の面で優れているならば、対策はやるべきであるということになります。他の問題を持ち出して「優先順位が低いから場合によっては後回しにされても致し方ない」と主張するのであれば問題ない議論だと思いますが、他の問題を持ち出して「他の問題の方が問題だから、ブラックバスの存在は問題がない」と主張したいのであれば、それは単なる責任転嫁でしかありません。バス擁護論では水質やブルーギルとの比較がよく行われますが、その「議論」の大半は後者である感触を拭えません。他の問題との比較をするときには、比較によって何を言いたいのかを明確にする必要があると思います。

+α.リリースは釣り人の自由だという議論

 リリースは他の価値観とは独立して認められるべき(と少なくとも私には読み取れる)ものです。図3を利用すると、「釣り人の要望」だけ線で区切って独立していると表すことができます(図4)。


図4 リリースは釣り人の自由か?

 この議論が成立するためには、なぜ他の価値観と独立して釣り人の要望を扱うことができるか、ということを証明する必要があると思います。個人的にはもちろんリリースしたいという釣り人の要望は叶えられるべきものだとは思いますが、場合によっては他の価値観によって制約をうける可能性もはらんでいると思います。

 バス駆除を訴える者に対して「生物多様性原理主義※」という“レッテル張り”が利用されることがありますが(レッテル張りか事実かについては別の場所で議論しようと思います)、リリースを絶対視することこそ、「リリース原理主義」と言えるのではないかとすら思うのです。いずれにせよ「リリースは釣り人の自由である」と主張される方にもう少し説明してもらう必要はありそうです。

※「原理主義」・・・ある価値観を絶対視すること、と定義しました

■まとめ

 あまりまとまっていませんが、とりあえずのまとめです。このページで言いたいことは

・議論の論理展開を認識すること
・問題をきちんと分けて考えること

の2点です。これらをきちんと認識することで、主張の根拠が、本当にその主張の根拠になっているのかを確認することができます。
「リリース禁止に反対する根拠が、実は駆除に反対だった」
「生物多様性原理主義者を批判する根拠が、実は生物多様性の考え方を批判するものだった」

さらに、池田先生のように問題をごちゃ混ぜにしている人の主張がおかしいということもすぐにわかると思います。

■最後に

 バス問題の真の論点は、環境保全の正当性を議論するところではなく、さまざまな価値観を包括的に考え、どこが社会合意として妥当な落としどころであるかということを議論する点にあると思います。 リリースすることは絶対的に尊重されるべき価値観ではありません。同様に、環境保全も絶対的に尊重されるべき価値観ではありません。しかし、どちらも一つの価値観としてそれ相応に尊重されるべきだし、どのような立場であっても相手の価値観もきちんと認めることが、建設的な議論への第一歩であると思うのです。


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